利他の心
昨今、普段の生活をしている中で「自分さえよければそれでいい」という自己中心的な考えの人間が劇的に増えたな…、と様々なシーンで感じます。
悪しき日本の常識や慣習は、「古い」「ダサい」「時代に合っていない」と次々に切り捨てられ、これまで大切にしてきた文化や伝統、風習、一般常識も「現代の波」に押し流されていくように思えます。
コンビニやスーパーは無人のセルフレジが並び、食べたいものがあればスマホのアプリで簡単に注文が可能。家から出る必要も、人と接する機会(コミュニケーション)もどんどん少なくなっていく。私は、そんな令和の日本を憂う人間の一人です。
そして、社会に目を向けると、己に矢印が向かない人々は、「面倒臭い」「無理」「我慢できない」といい、立ちはだかる人生の苦難や理不尽を避け、増え続ける多様化の選択肢の中へ躊躇なく逃げ去ってゆく…。
道ゆく人々は身の回りの様子や前後左右から迫り来る車や自転車ではなく、ワイヤレスイヤホンを装着し、スマホしか見ていない。
駅のホーム、電車の中、バスの中、病院の待合室、ファストフード店、レストラン、カフェetc...席を譲るべき方々の存在、手助けを求めている人々のサインも目に入らず(気付かぬフリをして)、優先席でスマホゲームに夢中になる人々。
もはや、公共交通機関で移動する際は、マナーやモラル云々の感情を切り捨て、心を無にして「仏」のようにジッと堪えるしか方法はないのでしょうか?
先日、「生き方」という本に出会いました。
2022年にお亡くなりになった、京セラ創業者の稲盛和夫さんの著書。
2004年に出版されており、全世界で300万部以上売れたそうです。
最後のページを読み終えた瞬間、「嗚呼、5年、10年、20年、もっと早くこの本に出会いたかった…」と知らずに通り過ぎて行った過去を悔やみました。
その本の第4章に書いてあった「利他の心」。
「世のため、人のために尽くす」という一言は、失われゆく日本らしさ、日本人の素晴らしさからかけ離れてゆく人々に是非一度目を通してもらいたいフレーズで、現在整体師やフットサルの指導で生計を立てている私の心にグサリと突き刺さりました。
私は2021年3月、コロナ禍の真っ只中に母を亡くしました。
女子の体操選手として1960年ローマ、1964年東京と二度の夏季オリンピックに出場し、その後は政治家として世に多大なる貢献をした母。(特に女性の地位向上や女子スポーツの発展、普及、環境改善など)
そんな母の突然の逝去以降、「自分がこの世の中のために出来ることは何だろうか・・」という自問自答を繰り返してきました。
そして、 前職を退職後、「自分で決めた道」で、「もっと身近な人々の役に立ちたい」という想いが募り、2000年の交通事故をキッカケに長年お世話になっていた「恵比寿療法院やすらぎ」が主催する、無痛ゆらし療法の本科スクールを受講し、2015年10月「痛みや不調に困る人々のために」と横浜に院を構えました。
あれから早9年。
自身の技量向上のために、全国各地のゴッドハンドの門を叩き、この9年間一度たりとも満足・慢心することなく、「本物」の施術家を目指し続けています。
様々な痛みや不調に悩む人々。それぞれのスポーツの価値をもっと高みに持ち上げていこうと、毎日必死に働き、厳しいトレーニングに励む老若男女のアスリートたち。
そんな人々にとって、整體 仁が「なくてはならない存在」になるために、「利他の心」を忘れず、経験と学びを深め、この廃れゆく一方の社会に一筋の光を取り戻すキッカケが作れたら、と考えております。
皆様との出会いやご縁を楽しみにしています。
令和6年4月
整體 仁 SEITAI JIN
院長 小野仁久